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【こころの薬83】 ドラムスコな生活を支えてくれる名言(その1)

私の人生観の大半は、中村天風先生に創っていただいたようなものですが、
ほかにも、「ドラムスコな生活」を元気づけてくれた人生訓のようなものがあります。

ご参考までに、今回からは月イチペースで、そのベスト3をご紹介していこうと思います。

まず今回は、私の座右の銘としている福沢諭吉のことば。

福沢諭吉GetPhoto


戯れ(たわむれ)去り
戯れ来たり
おのずから真あり


ちょっと禅問答的ですが、福翁百話の第5話にあることばです。

「人生すべて戯れ」を
これだけ「肯定的」に表現している名言

はありません。

諭吉は、こんなたとえ話で説明してくれます。

日本の住宅は、紙と木でできているから、
火がついたら、あっという間に灰燼に帰する。
そのことを当たり前だと、みんな知っていながら、
わが城、終の棲家と考えて、できれば豪勢な家を望む。
これも戯れのひとつ。

さて、家に火がついて燃えたとします。
このとき、誰でも、狼狽し、
すでに手遅れと知っても、必死にわが家の火を消そうとするでしょう。
これもまた「戯れ」。

燃えたらあっという間になくなると知っていたはずの家なのに、
それを知って小さな庵に棲む人は少なく、立派な構えの家をありがたがる。
そしてもしも、その家に火がつけば、
形のあるもの必ず消滅すると、静観できる人はまずいない、
自分の命を危険にさらしてでも、燃え盛る火を消そうとする。

たとえ「戯れ」と知っていても、「戯れる」。

諭吉は説きます。

豪勢な家を持ちたい、もはや手遅れの燃え盛る火を消したい
それはすべて「戯れ」だが、
それぞれの戯れに、人として生きる真実がある。

夢中で打ちこんでいたことが
「戯れ」にすぎなかったと知ったとき、
すでに別の「戯れ」に
気が行っている自分に気づく。


ここで、
ああ、なんと情けない、と気を落とす必要なんてまるでない。
戯れと知っていながら戯れるのと、
戯れとは思ってもみずに、戯れと気づかされるのとでは大違いなんだ。

そもそも広大な宇宙規模で考えれば、
何が戯れで、何が戯れでないのかなんて、わからない。

戯れと知りつつも、
それに明け暮れることにも、
人生の真実があるんだよ…



「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
すべては「空」という生き方、
通俗にまみれたドラムスコにはキツすぎます。

「戯れ」と知りつつ、
その「戯れ」を
大事にして生きていきなさい。


ドラムスコな生活を送る私にとって、なんて元気の出ることばでしょうか!

言葉の順番もいいですねえ。
「来て、去る」順なら当たり前ですが、
「去ったのに、また来ている」… 奥が深い!
これぞ人生の極意!

真面目なインテリから、「曲解も甚だしい!」とお叱りを受けそうですが。



なお、「福翁百話」第5話については、このブログでもすでに2回取り上げているので、さらに興味のある方はこちらをご参照ください。
#1528 2011年3月30日  #2449 2014年8月27日



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