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【心の薬 76 】 名医望月院長のこと

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今回は、名医 川越胃腸病院理事長 望月智行先生のご紹介。

先月も、毎年恒例にしている人間ドックでお世話になったのだが、
理事長とのお付き合いは、かれこれ30年以上にもなる。

そもそもは、1983年に病院スタッフの賃金制度の抜本的な改善について、
病院側の制度導入責任者である望月章子氏(初代院長夫人)と
当時トップクラスの賃金コンサルタント故弥冨賢之先生との窓口に、私がなったことがきっかけだった。

制度導入が非常にスムーズに運び、その後の目を見張る成果に大変喜んでいただいたのだが、
それ以来、院長婦人との交流が続き、2代目院長である、当の望月院長とも親しくなったというわけ。

現在の川越胃腸病院は、規模がそれほど大きくない(40床)にも関わらず、
胃がんや大腸がんなどの消化器系トップ水準の医療機関として知られ、全国から患者がやってくる。

これまで医療事故ゼロとい高度な医療技術に加えて、
患者志向の温かいサービスが注目され、さまざまな表彰も受けている。

たとえば
1997年に、審査基準が厳しいことで知られる(財)日本医療機能評価機構第1回認定病院(全国8病院のみ) 、
1998年には、病院としては異例の「消費者志向優良企業」通産大臣賞をトヨタなどとともに受賞 、
2001年、「優秀先端事業所」日本経済新聞社賞受賞
2009年、埼玉県経営品質県知事賞受賞 、2011年日本経営品質賞受賞など、知る人ぞ知る名病院なのだ。


その川越胃腸病院は、現院長の義兄望月宣之氏が1963年に設立、先代院長逝去に伴い、
1983年義弟の智行氏が引き継ぐことになったのだが、
そこには強烈な人生ドラマがあった。

毎年、ドックで1泊するたびに、院長と楽しく雑談するが、
いつも話題は、「今後の医療と病院の発展構想」や「病院スタッフにいかに恵まれているか」ばかり。
お人柄からか、本人の自慢話を一切聴いたことがない。
以下は、ご本人の著書「いのち輝くホスピタリティ」2008年からのエピソードだ。

20150918 望月智行著書 11㎝ 12240001


●工業高校生が医者になると一念発起

望月先生は、工業高校電気科出身。 思わずえっと驚くが、
大学へ進学する気はなく、当時「電気科一期生」募集の一期に魅力を感じ、地元の工業高校へ。

成績は常にトップだったが、どうにも「電気」はなじまなかったというのだから笑ってしまう。
某有名電機メーカーに就職を決め卒業まじか、17歳上の長姉に「遊びに来い」とお誘い。

お姉さんは薬剤師で、当時、外科医と結婚されていて、“がん博士”として世界に知られた中山恒明さんの直弟子。
その義兄が、何を思ったのか、「お前手術というもの見たことあるか」「見たいか」と。
望月先生は、興味津々「ぜひ見せてください」。
翌日、手術室に特別に入れてもらい、胃がんの2時間ほどの手術を間近で見学したそう。
そこで、望月先生「外科医はすごい!」と圧倒され、人生観が変わる

「人のいのちの再生」という重い課題に取り組む外科医の仕事の崇高さや醍醐味にふれ感激する望月さんに、
姉夫婦は「医者になる気はないか?その気があるなら応援する」と。
「なりたい!医者になりたい!」前後のことは何も考えず即座に返事したという。

それから2年後、見事に医大合格というから驚く。6年後無事卒業すると、
すでに義兄が開設していた川越胃腸病院に住み込み、昼は順天堂大学病院の研修医、
夜は年間300~400の手術患者の術後管理で夜勤。ほぼ24時間勤務を8年続けたそうだ。
人の何倍も医療現場に携わって、若くしてベテラン外科医並の医療知識と技量を身につけてしまう。

あの穏やかな笑顔の裏に、これほど凄いエネルギーを持っていたとは!
わたしより2歳下なのに…ご気楽人生を過ごしてきたドラムスコ、180°頭が下がります。

●医療は究極のサービス業

写真でみてお分かりのように、先生の笑顔は天下一品。

外来診療の目標は「一度は患者さんが笑顔になってから帰っていただく」。
診察室で望月先生の笑顔を見るだけで元気になってしまう患者が少なくないというのもうなずける。 

院長に就任するとき、
「規模は小さくても、日本一患者に喜ばれる病院」を創ろうと思ったそう。
それには「医療は究極のサービス業に徹しなければならない」と考えた院長は、
「職員満足なくして患者満足はなし。患者満足なくして社会満足(評価)なし」という
「ひと満足の好循環スパイラル」を経営理念として実践。

1泊2日の検査入院のとき、最初の夜に先生と部屋で話し込むのは、
仕事を終えた8時過ぎから。帰宅は11時過ぎ。そして翌朝の6時半には私の部屋に顔を出される。
別に私が入院しているからではなく、朝6時半から夜8時半まで、14時間勤務だ。

私は「院長は生きがいだからいいけど、ついていく職員は大変だ」と冗談を言うのだが、
人生を病院経営に捧げているような先生の毎日、
人生の真の幸福を求める哲学者や宗教家のような姿に、
職員が感動してついていく。いろいろな賞を受けつづけているのもムベなるかな。

栄養科(病院の給食)の一人の女性は、毎朝4時半に出勤、
こんなに早く出てくる必要はないという院長に、
「私が病院にできることはせいぜいこれくらいだから、自由にさせてください」と、
定年退職する日までなんと20年以上続いたという。
その後も、縁を切りたくないと、院長の自宅のハウスキーパーをしているというから驚き。
ちなみに、彼女は立派な旦那のいる主婦なのだからさらに驚く。

また私とも仲良しの看護部長の池田五十鈴さんは、1990年にスタッフの一員となったのだが、
旦那は外務省の偉いさん。ご主人がクロアチアの大使として赴任するときに、
通常は夫婦で赴任するのだが、お嬢さんを現地に行かせて、自分は病院にとどまったという人物。
院長の方針に共感して、ともに歩んだ「戦友」だと、院長は言う。

まだまだ院長の人柄を物語るエピソードはいっぱいあるが、
医療の腕も凄い

院長の手術は出血量が極端に少なく、胃がん手術でも100ccに満たないという。
私がまだ現役時代、会社の部下のお母さんが胃がんになり、末期で数か月の命と宣告され、
手術を引き受ける病院がなく院長に執刀してもらったら、今もピンピンしている。
また、先輩社員の奥さんの重度の直腸がんを執刀してもらったら、ご本人は元気になったのに、
旦那が先に急逝するということもあった。

また友人のお母さんの胃が悪く、いろいろな病院で診てもらってもよくならないというので、
忙しい先生に頼んで診てもらったら、「食べ過ぎによる単なる胃炎だよ」と笑いながら連絡をもらって
恐縮したこともあった。

大腸がんで父を亡くしているドラムスコにとって、専門医の望月理事長は頼もしい存在だが、
それを超越した親しいお付き合いは、わたしにとって幸運としか言いようがない。
院長、これからもよろしくお願いしますよ。





























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