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【こころの薬72】 私の杖言葉の中から (その2)

今回の杖言葉は、ちょっと違った角度から…

バッハへのオマージュphoto_01 22㎝

わたしの眼は醜いものを
消し去るようにできている

Raoul Dufy

フランスの画家デュフィの伸びやかな描線や透明な色彩、そして画面が踊るようなリズムは
見る人を明るくノビノビとさせてくれます。

人間が幸福に生きる希望の源泉である「楽観主義」「肯定の思想」を
彼ほど私たちの目の前にビジュアル化した画家はいないでしょう。

その快活さや屈託なさは、世の中に悲しいことや憤ることは存在しないかのよう。
そりゃそうだ。この世の醜いものは、デュフィの眼に入ってこないのですから。

だからインテリ(?)評論家の中には「デュフィの絵に人生の深刻なテーマがない」
「金持ちのための絵」「軽すぎる」とケチをつける向きもいなくはありません。

冗談じゃない。
人生は幸福で楽しいもの。それを絵にすることが「軽い」という発想は、
人生は、本来、深刻で苦しいものでなければならないと考えているからでしょうねえ。

しかし
「悲観は感情、楽観は意志」
「ウソ泣き」は簡単でも、「ウソ笑い」は難しい。

簡単にできることに大声をあげて「重い」というのも、滑稽じゃないかと思うのですが。


どのみち、人生の幸福を求めるなら、
上から目線で、幸福の障害となるものに目を向けるよりも、
目の前にある幸福を再発見すべきだと思うのですがねえ。

3l_w_dufy_notre.jpg

デュフィは、こうも言ってます。
心を煩わせる一切の主題を排除し
疲れを休める上等の安楽椅子のような均衡のとれた芸術、
純粋と静朗の芸術に価値を見出すと。

「腑に落ちる」とは、まさにこういうことですねえ。

世の中の矛盾や不条理に悲憤慷慨することが、知識人らしいと思っている人たちは、
案外多いようですが、心休まる時はあるのでしょうか?

世界を回っていると、日本ほど住みやすく、安全で、誠実で、食事もうまい、
最高の国に生まれた幸せを実感します。

それなのに、某大新聞を筆頭に、政治、経済、社会について、
日本の欠点だけを掘り起こしてバイアスをかけ、上から目線のさまざまな厳しい注文。
いったいどこの理想郷と比較してのことなのでしょうか?

Dufyのような目の人が増えたら、世の中の感情に任せた不平不満が激減すると思うのですが。
こんなこと書いたら、自称インテリのお怒りを買いますかねえ。
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