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【こころの薬54】 たわむ去り たわむれ来たり

大震災からおよそ3週間たちました。
被災地の行方不明者の捜索や原発関連のトラブルなど
まだまだ収束とは程遠い状況の中、
各地で復興に向けて動き出しているようです。

災害パニックが少し落ち着いてきたときの「こころの置き所」として、
福沢諭吉の次のことばを思い出します。

戯れ去り
戯れ来たり
おのずから真あり


福沢諭吉GetPhoto
このブログの初めの頃、【こころの薬3】で紹介しましたが
こういう時期なので、一部を再録させていただきます。


         *
これぞ人生の目的、生きがいだと真剣に取り組んできたが、
結局はむなしい戯(たわむ)れにすぎないと思い知った。

それなのに、また別の戯れごとに夢中になってしまっている自分がいる
なんて懲りない俗な人間なんだろう…むなしい、

と悩んでいるあなた
新たな戯れと知りつつ、真剣にその戯れに打ち込んだら、
それでいいんだよ。

地球からみたら人間はダレだって宇宙の蛆虫みたいな存在なんだ。
所詮、何が真実で、何が戯れ・幻なのか分からない。
つまり真剣に戯れることに、人間として生きる真実があるんだよ。
             *

出典は、諭吉の著書「福翁百話」の中にあって、
「心の底から安らぎをもちつづけるための考え方」
を次のように諭しています。

【福翁百話 第7話】人間の安心
宇宙の間に、わが地球があるようすは、大海に浮かぶケシ粒のようなものだ。
人間はこのケシ粒の上に生まれて死ぬ生き物だが、チリや埃のように
たまり水にわくボウフラのようなものだ。
蚤と蟻が背比べしても大小なく、一秒の遅速を百年で測れば差はない。

宇宙規模で考えれば、人間なんて無知無力、見る影もないウジ虫同様、
凡俗の世界での貴賎貧富栄枯盛衰などに心身をすり減らす様は
庭に巣を作っている蟻たちがにわか雨に右往左往いるようなものだ。

しかしこの世に生まれた以上、ウジ虫ながらも相応の覚悟がいる。
その覚悟とは、

人生は本来戯れと知りながら、この一場の戯れを戯れとせず、
まじめに勤めながら富楽を求め、安楽を求め、公益を図り、
生涯一点の過失もないようにと心がけることが本分であり、
これこそ万物の霊長としての人間が誇るものだ。

そして、戯れと知りつつ戯れるならば、心は安らぎ、
戯れの両極端に走ることもなく、ときには俗界百戯の中にいても、
戯れないこともまたありうるのである。
人間の安心法はおおかたこの辺にあると考えて間違いない。
(いずれもドラムスコ意訳) 
        
戯れは人の本分。
だから「戯れと知りつつ戯れよ」、
それがほんとうの安心を生むと。

このことを別の話の中で、

だれでも、紙と木でできた家にもかかわらず、それを財産と考え、
その増殖を必死にはかる。
そしていったん火がつけばすぐ燃え尽きてしまうと知っていながら、
そのときは、必死に水をかけ消そうとする。
つまり「戯れと知りつつ戯れる」。
それはけっして愚かな行動ではなく、人本来のものなのだ。
「人生は戯れの繰り返し」、それはそれで大事なことなんだよ。

と説いています。

「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」
「色即是空 空即是色」
の「無常観」にいたるには高い精神性がもとめられますが、

「戯れ去り 戯れ来たり 自ずから真あり」
「戯れに自ずから真あり」ということばに、
俗人の私は救われる気がするのですが。



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Comments

by dora

<アカタンさん
こういう時期に不心得などと
自粛ムードが強まってますが…

すべては「戯れ」などと言うと
怒られそうなのですがね。

Comment#4206
  • 2011-04-01(Fri) 10:30:13
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by アカタン

遊びをせんとや、生まれけむ。
戯れせんとや、生まれけむ。

 幾つになっても、童が良いですね(^_-)-☆、(^^♪

Comment#4205
  • 2011-03-31(Thu) 08:22:03
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