
(チャナッカレにあるトロイの木馬)
20日にイスタンブールに着き仲間と3日間滞在した後、
23日に仲間と別れて、いよいよトロイの遺跡に向けて一人で出発。
バスで6時間のチャナッカレという町を基点に一泊2日間。
さて話はいきなり、チャナッカレから車で30分、トロイの遺跡の入り口へ。
入場料は10TKL(900円)。

オフシーズンだが、さすがに世界遺産、3台のバスツアー客がきていた。
気温は5度くらいなので、みなさん重装備。

順路に沿っていくと最初に東門を見ることになる。
トロイは紀元前3000年から完全に滅亡する後500年まで、3500年にもわたって、
同じヒサルルクという丘陵に9層にわたって町が作られていた。
この東門は、紀元前1700〜1250年に栄えた第6市の遺跡だ。

この完全舗装された坂道は、第2市のメインゲートに通じていた。
第2市は前2500年〜2300年というからずいぶん古い話だ。
シュリーマンは、この第2市の壁面に火災の後を発見して、
例の木馬によるトロイ戦争が起こったのは第2市と特定したわけだ。
ちなみに最も古い第1市の遺跡は少ないが、城壁の一部と住居跡が残っている。

シュリーマンについては、先日のブログで紹介したように
「伝説の都トロイ」の実在を信じて、発掘に私財をつぎ込んでとうとう発見した人だ。
その発掘の跡は「シュリーマンの東南溝」として今でも残っている。

写真ではよく分からないかもしれないが、地震や戦災で町が廃墟になると、
生き延びたトロイの人たちが廃墟の上に新しい町を建設していったために、
どこを掘っても、住居や城砦の後が何層にも重なっているわけだ。
シュリーマンはこの写真の[]と書かれた第2市まで掘り進んで、
ここをトロイの木馬の舞台とした。その決め手となった現場がここなのだ!
(後の専門家の調査によって、実際は第7市というのが定説になっている。)
「シュリーマンの夢が実現した場所はここか!」寒空にしばしたたずんで感動してしまいました。
人生いちどきり。夢は見続けるものです!
遺跡は狭いのですが、何層にもわたって入り組んでいるので
順路の要所に↑のような看板が立っていて回りやすく、さすが世界遺産。

トロイが最も繁栄した第7市(前1250〜1000)の住居跡。
遺跡に残る火災の後、壁に残された矢や剣の傷跡、無数の人骨、
とくに剣で切られたアゴの骨などから、ここを10年戦争の都市としているらしい。

ヘレニズム様式の聖域は第8市のもの。初めてのギリシア人都市でもあった。

遺跡の最上部はローマ時代の第9市。
この写真はオデオン(小音楽堂)の跡だが、比較的よく残っている。

遺跡の発掘はまだつづけられていて、最近発見された
第2市の貯蔵跡。当時の状況が比較的よく残っています。
トロイ興亡3500年の夢の跡をたどって、およそ1時間。
ま・ん・ぞ・く・実は満足にはもうひとつ理由が…
チャナッカレのホテルのフロントで、トロイ行きのタクシー便を問い合わせたら、
フロントの女の子が、「明日は遅番だから案内してあげる」と言うのです!
そして翌朝マイカーに乗って約束の時間に私服で現れた彼女、TUNAさん。

トロイ遺跡めぐりが終わってバスを待つ間、カフェでお茶して
すっかり仲良しになり、自分で撮った携帯カメラの写真をいろいろ見せてくれました。
じゃあ、俺が写してあげるというと、じゃあ、ポーズ!32歳独身だそうです。
お父さんから「いつ嫁に行くんだ」と顔あわせるたびに言われると眉しかめてました。

もちろん女性だけではありませんよ。
トロイの解説書が各国版で出ているのですが、遺跡の売店でその筆者とばったり。
ヒサルルクに生まれイギリス留学、トロイの名ガイドとして知られる
ムスタファ・アシュクンさん。さっそくサインしてもらい、彼のおじさんと一緒に記念撮影。

みんな営業を超えた?なごやかなスマイル。
人生の夢とよき出会いに満ちた、楽しいトロイでした!