最近、友人、知人が癌になったり、
コロナ騒動で商売が苦境にたったりする例が目につきます。
そんな状況を知るたびに、次の言葉を贈って励ますのですが…
悲観は「気分」
楽観は「意思」いつしか還暦を過ぎ、古希、喜寿を過ぎ…あらまあ80歳ももうすぐ。
ドラムスコとしてここまで永いこと愉しく「ご気楽に」生きてこられたのは、
中村天風師の偉大な思想に20歳代後半でめぐり逢えたおかげ。
以来、
天風師の「積極思想」を実践して半世紀、
幸運にも、たいしたとりえもない男が、明るく愉しく過ごしてこられました。
中村天風師については、このブログで何度も取り上げてきましたが、
「悲観は気分、楽観は意思」は、実は天風師のことばではありません。
アランという思想家が「幸福論」で述べているのですが、
いかにも天風流ですよね。

アラン(Alain)ことエミールシャルティエは、フランスの哲学の高校教師で
現代のソクラテスともいわれた思想家です。
彼の「幸福論」の最後のまとめに、表記の言葉が述べられています。
アランは、1868年に生まれ1951年に没しているから、
1876年~1968年の天風師とほぼ同時代。
地球の西と東で、同じ時期に同じような思想を説いていたとは、
偶然とはいえ面白いですねえ。

私が10年前に前立腺癌を宣告されたとき、
さらに2年前喉頭癌と肺癌の同時罹患と診断されたとき、
自分でも不思議なくらい(担当医師が驚くほど)平然としていられたのは、
ひとえに天風師の積極思想のおかげです。
いつしか天風師の言葉がいくらか身についていた自分に、
嬉しくなったのを覚えてます。
もっとも過去に、病気などで不安や不運を感じておられる人に、
天風師のことばを伝えても、
「変な宗教」もどきにとられることもあったので、
アランの表記の名言が、いちばん伝わりやすいかと…
何かと、ご紹介することが多くなっています。
悲観は「気分」、楽観は「意思」なんてわかりやすい言葉でしょうか。
人間は、ほおっておくと悲観主義に同調しやすい生き物です。
世の中には、自分の不運を悲憤慷慨(ひふんこうがい)される人がいます。
それも少なくない人たちです。
天風師はいいます、
「辛い」からつらい、「悲しい」から悲しいといって何が悪い!
と、自分の不運・不幸を嘆く人が多いねえ。
じゃあ「悲しい」といって、悲しみが消えてなくなるか?
むしろ悲しい気持ちが増大する一方じゃあねえのかい?
感ずるままに気分で「辛い、悲しい」と口にして、楽しくなることは絶対にないんだ。
それなら逆に、過去に楽しかったことを無理やりにでも思い起こして、
「楽しい」と口にしなさいな。
だから天風師は、
「他人の愚痴や不幸話に不用意に同調しなさんな」、
「悲恋の映画を観て涙するなどもってのほか」とまでいいます。
「悲しい」「不安だ」「腹が立つ」と感じたら、
すかさず「愉快だ」「安心」「素晴らしい」と思えるように考え、行動する…
つまり、悲観は気分、楽観は意思…
そうするとメンタルがいつしか鍛えられて、
悲しみ、怒り、怖れに対する耐性が強化される。
これを徹底して毎日を過ごしていると、
不思議なことに、いつしか自分の身に幸福や幸運が訪れるようになる
天風師の教えも、アラン先生のこの言葉も、
まったく同じ重要なことを示唆しています。
そりゃあ、ただ「能天気」なだけじゃ?他人に対する優しさ、共感性に乏しいのでは?そうかなあ? うん、確かにそうかもしれませんね。
ただ結果として、日常的に
身の周りに愉しいことが圧倒的に多くなることも事実です。