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【こころの薬80】 幸福な生き方を創り出す天風哲学

今日はちょっと長くなります。
スイマセン…



「人生あまりむずかしく考えなさんな」

「どうせ死んでしまうなら、
笑って暮らすのが得か、
泣いて暮らすのが得か」


「生きている刹那刹那を
ちょっとでも機嫌悪くしていたら 
もったいないぜ」


ほんとうにそうだよ!と思って、いつしか古希を超えました。

冒頭に紹介したことばは、
私の人生の師、中村天風先生のものです。

幸運にも、20代の後半で天風哲学を知り、
曲がりなりにも実践し続けて、はや半世紀ちかく!
いまのご気楽生活も、天風先生の教えのおかげと、感謝しきりです。

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ところで、
このブログを始めて、いつの間にか10年以上がたちます。
ノーテンキで勝手なことばかり書いてきたので、
読者はほとんどいません。

それにもかかわらず、性懲りもなく続いているのは、
かつて出版業界で甘い蜜を吸ってきたため、
何かを書きつづけることが、習い性になっているからでしょうか。

そして、
ごくたまに、ブログを読んでいただいているご奇特な方々から
理想的な老後生活だね」という声をいただきます。

「ドラム叩いて音楽三昧、美味しいものを食べ歩き、
気ままに海外に出かけ、趣味で粘土人形造りや陶芸を楽しむ…
うらやましい限りです」と。

恐縮ですが自分でもおどろきアキレル?ほど、
ノーテンキで愉しい「ドラムスコな生活」を送っています。

たまに印税が入ると、海外喰い歩きに出かけ…
下手くそなドラムでプロミュージシャンにご迷惑をかけても、
笑ってお付き合いいただき、
ほんとうにありがたい、ラッキーなことだと感謝してます。

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ところで、ドラムスコな生活振りから、
「お金持、結構なご身分で」とおっしゃる方がいらっしゃいます。

残念ながら、まったくの誤解です。

別に資産家に生まれたわけでも、宝くじに当たったわけでもありません。
過去、バブルの恩恵にあずかりつつも、普通のサラリーマン生活を送ってきました。

たしかに、現在もその日のその日の生活に追われることはありませんが、
贅沢三昧ができるご身分でも、決してありません。
定年退職者が身の丈にあった楽しみ方を、ひたすらつづけているだけです。

世の中には、有り余る資産を得、名声を博し、大きな影響力をもつ人物が
あまたいらっしゃいます。

また自己犠牲をいとわず、困っている人たちを支え続け、
それこそが自分の幸福な人生と毎日を過ごす方々もいらっしゃる。

自分の楽しみを追い求めるだけのわたしごときが
「理想的な老後生活」とはおこがましい限りです。

しかし、一介の定年退職者が、好きなことをして愉しく暮らしていることも事実。
これはひとえに、天風先生の教えのおかげです。

そこで、いくらかのご参考になればと思い、
天風哲学の一端を、何度かに分けて述べてみます。


中村天風

中村天風先生(1878年~1968年)は、日本人初のヨガ行者で、
人生をいかに幸福に生きるか
を説いた稀代の思想家です。

波乱の人生からつかんだ「心身統一法」を指導し、
東郷平八郎、ロックフェラー三世、松下幸之助、双葉山、松田権六(人間国宝)、尾崎行雄、
堀越二郎(ゼロ戦)、松本幸四郎 (7代目)、倉田主税、宇野千代、稲盛和夫、広岡達朗など、
当時の政財界から文芸、スポーツ界のそうそうたる人々に大きな影響を与えています。

私は26歳のころ、宇野千代の「天風先生座談」を読んで、
中村天風師の存在を初めて知って大きな衝撃を受けました。

天風先生は、その5~6年前に亡くなっていたのですが、
天風先生の書かれた本を求めて古本屋を歩き回り、
ようやく「新・人生の探求」に巡り合い、天風哲学の虜になりました。

そして、こんな素晴らしい哲学を過去の存在にしておいてはいけないと、
私がプロデュースして「成功の実現」という本にまとめ1988年に出版したところ、
その後関連本が80冊以上出され、世に「天風ブーム」が巻き起こるほどの反響となりました。
最近でも、プロ野球日本ハムの栗山監督や歌舞伎の市川海老蔵さんの座右の書として
マスコミでとりあげられたりしています。

その天風哲学の一魅力は、
第一に、わかりやすさ
二番目に、実践性、毎日の生活への取り入れやすさ
だと思います。


天風先生はいいます。

「そもそも人間というものは、
幸福に丈夫に生きる方が
やさしいようにできているんだ」


「世の中の不幸、不運、不健康は
すべて、人間のこころが創り出しているんだぜ」


とかくインテリは人生を難しく考え、苦しくてつらいものだと考えたがるが、
全くの間違いだよ。
宇宙の造物主は、人間を、本来幸せな一生をおくれるように創成しているんだ。
あらゆる不幸や不健康は、すべて自分のこころが創り出しているんだよ。

「蒔いたとおりに 花が咲く」

自分のこころの中で、
毎日のように、腹が立つ、悲しくてつらい、苦しいという悲観の種をまきつづけると、
いつしか自分の周りに腹が立って、悲しくて苦しい、不幸なことばかりが目立つようになる。

たとえヤセ我慢してでも、毎日楽しい、嬉しいという種を,、自分の心に蒔き続けると、
いつの間にか、自分の身の周りに幸福なことばかりが目立つようになる。

誰でも、できることなら不幸な一生よりは幸福な一生をおくりたい。
病気に苦しむより健康で明るく暮らしたい、と願っているはず。

ところが多くの人々は、
まったく不用意に、自分の心に
不幸の種や不健康の種を蒔き続け、
蒔いた通りの結果となって、
自分の人生の不運を嘆く
ことになる、
というのです。

逆に言えば、

いまどんなに恵まれない境遇にいようとも、
自分のこころの中に
幸せの種や、健康の種を
辛抱強く蒔き続けていけば、
誰でも必ず、幸運で健康な愉しい境遇になる


ということです。

そんなバカな!と思われたかたは、
時間の無駄になるので、ここでお終い。



次回は、「どうやって自分の心に楽しい嬉しい種をまき続けることができるのか」
天風先生が説く、毎日のこころの持ち様について述べていきたいと思います。


なお、天風哲学については、このブログの初めのほうでも詳しく取り上げておりますが、
そうれからずいぶん年月が経ちましたので、改めてご紹介するものです。














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【こころの薬79】 新緑の強烈デトックス効果!

桜が散ったら、木々の若葉が茂り出して…

20170430 新緑 21cm DSC_0228


木々が一斉にすがすがしい緑を広げていく様子に、
薄汚れたドラムスコの心体もちょっとは洗れるような気分。
何よりも強烈なデトックス効果だね。

20170423 新緑の紅葉 21cm 00020003

紅葉も、いまは新緑の葉がさわやかなグリーン色。

20170423 柿の若葉  21㎝ 00030004

私は、この時期の柿の若葉が一番好き。
いかにも新鮮なつやつやした葉っぱがどんどん広がっていく。
見ているだけで、元気になる。

この時期も、すきだなあ。


【こころの薬78】 生はいとしき蜃気楼

九州地方の余震がまだつづき、
被災地の方々の不安な生活がつづいていますが…

あるコラムを読んでいて、
次の詩に、目がくぎづけとなった。


20160417 桜吹雪 21㎝5747


さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と




後で、原典を調べてみた。


「さくら」 
     
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
据えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

茨木のり子 1992年作

i20160417 茨木のり子 12㎝ 3440



茨木 のり子は、『櫂 』を創刊し、戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人だそうで、
この感性、素晴らしいですねえ。

とくに 「生はいとしき蜃気楼
という肯定的な表現に、グッときました。

ドラムスコも、「愛しき」蜃気楼の中で、面白おかしく生きてきたんだなあ。

これまで桜吹雪を見るたびに、
女の一生を思い浮かべ…

つぼみは処女のごとく
満開の昼桜は淑女のごとく
満開の夜桜は熟女のごとく
はかなく散って乳母桜
散った後は毛虫が垂れ下がり、
誰も近づかぬ…

などとうそぶいていたドラムスコ
ああ、この感性の差は…

九州の被災地のみなさん、
現実は蜃気楼のようでも、
かえりみれば愛しいと思える日々になることを…








【こころの薬 番外編】 粗にして 野だが 卑ではない

「粗にして野だが卑ではない」

石田禮介が国鉄総裁に就任した後、国会での初登院でこう言ったという。

201603 石田禮介 13㎝

「生来、粗にして野だが卑ではないつもりだ。
丁寧な言葉を使おうと思っても、生まれつきで、できない。
無理に使うと、猿がカミシモを着たような、おかしなことになる。
無礼なことがあれば、よろしくお願いしたい。」

そう前置きしておいて、
「国鉄が今日の様な状態になったのは、諸君(国会議員)たちにも責任がある」
と痛烈かつ率直に糺した。

戦前の三井物産で辣腕を振るった石田は、戦後公職追放で浪人していたが、
1956年、日本国有鉄道監査委員長として実業界に復帰。1963年に第5代国鉄総裁に就任。
財界出身の国鉄総裁は異例の存在であった。

後に、城山三郎が「粗にして野だが卑ではない」という題名で、石田の伝記を書いており、
私は、この伝記で初めてこの言葉を知ったのだが、
外面(そとづら)が立派でも、心が卑しい存在にはなりたくない、と思ったものだ。


最近、あることで、この言葉を思い出した。

ちょっと前、
高市早苗総務相の「電波停止」発言に大抗議、
田原総一朗、岸井成格、田原総一朗、鳥越俊太郎ら
ジャーナリスト有志の記者会見がありました。

例によってマスコミがこぞって大きく取り上げたので、
ご記憶の方も多いと思います。


2016 バカ評論家 20㎝ n-KISHII-large570

「高市さんに恥ずかしい思いをさせなければ」と田原総一朗氏。
TBS「NEWS23」アンカーを務める岸井成格氏の発言への批判について、
「低俗」「品性のかけらもない」と語気を強めて本人が切り捨てる場面もあった。

みなさん深刻な表情…

マスコミも追随して、これを大げさに取り上げていたが、
「どの面さげて、ご立派なことで」と、とても不快だった。

なぜなら、
これらの評論家が入れあげていた

民主党政権の過去の発言に対して
彼らは、「言論の危機」と
共同記者会見を開いただろうか。


たとえば、
2010年、菅内閣の平岡秀夫総務副大臣は参院総務委の答弁で、
放送法の停止命令適用の可能性に触れている。
高市発言とまったく変わらない。
平岡副大臣の答弁に「とんでもない言論弾圧」の抗議の声を一度でもあげただろうか?

2013年には鉢呂吉雄経済産業相の辞任に関する報道について
輿石東幹事長が、民放関係者を聴取し
党代議士会で「マスコミ対応を含め情報管理に徹底していきたい」と宣言した。
これに対して、言論統制だと、今と同じように騒いだのだろうか?

同年、民主党の松本龍復興相は村井嘉浩宮城県知事との面会時のやり取りについて
「書いた社は終わりだ」とオフレコでマスコミを恫喝。
その場にいた記者は、冗談だからと笑って聞き流したそう。

しかし、これがもし自民党の大臣だったら、
「たとえオフレコでも問題発言」と大騒ぎしただろう。

もっとも松本大臣は、やり取りの映像が流れて、
あまりにも傲慢な態度に批判が集中し辞任、
「粗にして野だが卑ではない」との言葉を残したというが、もはやブラックジョーク。

菅直人首相は就任記者会見で
「ややもすれば取材を受けることによって政権が行き詰まる」と取材忌避
副総理時代も「議会制民主主義というのは期限を切った
あるレベルの独裁を認めることだ」と発言。
もちろん彼らご立派な評論家はスルー。 ところが安倍政権では「独裁化が進む」と批判。

民主党政権のときはスルー、
自民党政権になると、鬼の首でもとったかのように、
シカメ面をそろえて抗議の共同記者会見。
笑うしかない醜態。

見事なご都合主義、ダブルスタンダード…

これって「粗でも野でもないが、卑である」
というのがふさわしいのではないか?

高市さんに恥ずかしい思いをさせるというが、
ブーラメンのようにご自分たちに。

もっとも、この先生方、恥ずかしいとは思いもしないのだろうなあ。



【心の薬 76 】 名医望月院長のこと

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今回は、名医 川越胃腸病院理事長 望月智行先生のご紹介。

先月も、毎年恒例にしている人間ドックでお世話になったのだが、
理事長とのお付き合いは、かれこれ30年以上にもなる。

そもそもは、1983年に病院スタッフの賃金制度の抜本的な改善について、
病院側の制度導入責任者である望月章子氏(初代院長夫人)と
当時トップクラスの賃金コンサルタント故弥冨賢之先生との窓口に、私がなったことがきっかけだった。

制度導入が非常にスムーズに運び、その後の目を見張る成果に大変喜んでいただいたのだが、
それ以来、院長婦人との交流が続き、2代目院長である、当の望月院長とも親しくなったというわけ。

現在の川越胃腸病院は、規模がそれほど大きくない(40床)にも関わらず、
胃がんや大腸がんなどの消化器系トップ水準の医療機関として知られ、全国から患者がやってくる。

これまで医療事故ゼロとい高度な医療技術に加えて、
患者志向の温かいサービスが注目され、さまざまな表彰も受けている。

たとえば
1997年に、審査基準が厳しいことで知られる(財)日本医療機能評価機構第1回認定病院(全国8病院のみ) 、
1998年には、病院としては異例の「消費者志向優良企業」通産大臣賞をトヨタなどとともに受賞 、
2001年、「優秀先端事業所」日本経済新聞社賞受賞
2009年、埼玉県経営品質県知事賞受賞 、2011年日本経営品質賞受賞など、知る人ぞ知る名病院なのだ。


その川越胃腸病院は、現院長の義兄望月宣之氏が1963年に設立、先代院長逝去に伴い、
1983年義弟の智行氏が引き継ぐことになったのだが、
そこには強烈な人生ドラマがあった。

毎年、ドックで1泊するたびに、院長と楽しく雑談するが、
いつも話題は、「今後の医療と病院の発展構想」や「病院スタッフにいかに恵まれているか」ばかり。
お人柄からか、本人の自慢話を一切聴いたことがない。
以下は、ご本人の著書「いのち輝くホスピタリティ」2008年からのエピソードだ。

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●工業高校生が医者になると一念発起

望月先生は、工業高校電気科出身。 思わずえっと驚くが、
大学へ進学する気はなく、当時「電気科一期生」募集の一期に魅力を感じ、地元の工業高校へ。

成績は常にトップだったが、どうにも「電気」はなじまなかったというのだから笑ってしまう。
某有名電機メーカーに就職を決め卒業まじか、17歳上の長姉に「遊びに来い」とお誘い。

お姉さんは薬剤師で、当時、外科医と結婚されていて、“がん博士”として世界に知られた中山恒明さんの直弟子。
その義兄が、何を思ったのか、「お前手術というもの見たことあるか」「見たいか」と。
望月先生は、興味津々「ぜひ見せてください」。
翌日、手術室に特別に入れてもらい、胃がんの2時間ほどの手術を間近で見学したそう。
そこで、望月先生「外科医はすごい!」と圧倒され、人生観が変わる

「人のいのちの再生」という重い課題に取り組む外科医の仕事の崇高さや醍醐味にふれ感激する望月さんに、
姉夫婦は「医者になる気はないか?その気があるなら応援する」と。
「なりたい!医者になりたい!」前後のことは何も考えず即座に返事したという。

それから2年後、見事に医大合格というから驚く。6年後無事卒業すると、
すでに義兄が開設していた川越胃腸病院に住み込み、昼は順天堂大学病院の研修医、
夜は年間300~400の手術患者の術後管理で夜勤。ほぼ24時間勤務を8年続けたそうだ。
人の何倍も医療現場に携わって、若くしてベテラン外科医並の医療知識と技量を身につけてしまう。

あの穏やかな笑顔の裏に、これほど凄いエネルギーを持っていたとは!
わたしより2歳下なのに…ご気楽人生を過ごしてきたドラムスコ、180°頭が下がります。

●医療は究極のサービス業

写真でみてお分かりのように、先生の笑顔は天下一品。

外来診療の目標は「一度は患者さんが笑顔になってから帰っていただく」。
診察室で望月先生の笑顔を見るだけで元気になってしまう患者が少なくないというのもうなずける。 

院長に就任するとき、
「規模は小さくても、日本一患者に喜ばれる病院」を創ろうと思ったそう。
それには「医療は究極のサービス業に徹しなければならない」と考えた院長は、
「職員満足なくして患者満足はなし。患者満足なくして社会満足(評価)なし」という
「ひと満足の好循環スパイラル」を経営理念として実践。

1泊2日の検査入院のとき、最初の夜に先生と部屋で話し込むのは、
仕事を終えた8時過ぎから。帰宅は11時過ぎ。そして翌朝の6時半には私の部屋に顔を出される。
別に私が入院しているからではなく、朝6時半から夜8時半まで、14時間勤務だ。

私は「院長は生きがいだからいいけど、ついていく職員は大変だ」と冗談を言うのだが、
人生を病院経営に捧げているような先生の毎日、
人生の真の幸福を求める哲学者や宗教家のような姿に、
職員が感動してついていく。いろいろな賞を受けつづけているのもムベなるかな。

栄養科(病院の給食)の一人の女性は、毎朝4時半に出勤、
こんなに早く出てくる必要はないという院長に、
「私が病院にできることはせいぜいこれくらいだから、自由にさせてください」と、
定年退職する日までなんと20年以上続いたという。
その後も、縁を切りたくないと、院長の自宅のハウスキーパーをしているというから驚き。
ちなみに、彼女は立派な旦那のいる主婦なのだからさらに驚く。

また私とも仲良しの看護部長の池田五十鈴さんは、1990年にスタッフの一員となったのだが、
旦那は外務省の偉いさん。ご主人がクロアチアの大使として赴任するときに、
通常は夫婦で赴任するのだが、お嬢さんを現地に行かせて、自分は病院にとどまったという人物。
院長の方針に共感して、ともに歩んだ「戦友」だと、院長は言う。

まだまだ院長の人柄を物語るエピソードはいっぱいあるが、
医療の腕も凄い

院長の手術は出血量が極端に少なく、胃がん手術でも100ccに満たないという。
私がまだ現役時代、会社の部下のお母さんが胃がんになり、末期で数か月の命と宣告され、
手術を引き受ける病院がなく院長に執刀してもらったら、今もピンピンしている。
また、先輩社員の奥さんの重度の直腸がんを執刀してもらったら、ご本人は元気になったのに、
旦那が先に急逝するということもあった。

また友人のお母さんの胃が悪く、いろいろな病院で診てもらってもよくならないというので、
忙しい先生に頼んで診てもらったら、「食べ過ぎによる単なる胃炎だよ」と笑いながら連絡をもらって
恐縮したこともあった。

大腸がんで父を亡くしているドラムスコにとって、専門医の望月理事長は頼もしい存在だが、
それを超越した親しいお付き合いは、わたしにとって幸運としか言いようがない。
院長、これからもよろしくお願いしますよ。





























【こころの薬75】 二つの後悔

やってしまった後悔は
日々に小さくなるが、

やらなかった後悔は
日々に大きくなる



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これは作家の林真理子さんのことばだそうで、
言い得て妙!

「後悔先に立たず」とよく言いますが、
オッチョコチョイのドラムスコ、
ろくに考えもせずに、軽率にやってしまって後悔したことは数知れず。

しかし、しかし70年生きてきて、
冒頭の指摘に、
まったく同感、そのとおり!

この年齢になるとつくずく思いますが、
やってしまって後悔したことは、後の肥やしになっても、
やらないで後悔したことは、取り返しがつきません。

ああでもない、こうでもないと、やらない理由はイクラデモ考えつきますが、
やがて時が過ぎて、「もしあの時やっていれば」と思っても、すでに遅し。
まさに、後悔先に立たず。

大学入試、就職、転職、結婚…
どちらに向かうか迷うような人生の岐路にたったとき、
二者択一を迫られて、
一方を選んで、一方を捨てざるを得ない時もあります。

自分の選択を後悔しないためには、
一方を選んでしまったら、
ムリヤリにでも、何とか自分なりに後悔しないように進めばいいわけで、
優柔不断で、どちらも選べずに立ちすくんでいては、少しも前に進めない。

そんな時に、林真理子さんのこのことば、いいですねえ。

【こころの薬 74 】 ああ、日本人の美徳だなあ

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落ち葉の季節になりましたが、
ワンコと散歩していて、最寄りの公園に行くと、
一人のご婦人が、黙々と落ち葉集めをしています。

足元にあるビニールの大きな袋に入れて、すでに何個かゴミ置き場に運んだそう。
「誰かがやらないとねえ」と、ご近所の奥さんなのでしょうか?
「せめて、その袋運びますよ」と持ったら、意外にズッシリ。

「いいのいいの、運動だから、」と、さっさと運ばれてしまいました。
それにしても、
自分ちの小さな庭の落ち葉も、かみさん任せのドラムスコ。
その何倍もありそうな公園の落ち葉集め…

個人の権利ばかり主張する風潮の中で、
まだまだ、こんな素晴らしい人がいるんですねえ。


肌寒くなった朝でしたが、なんだかホッコリしちゃいました。