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社会人時代の恩人のお別れの会

20231201 松本楼 21cm_DSC1921

12月1日は、初めて勤めた会社の恩人の「偲ぶ会」に参加するために、
日比谷公園のなかにある洋食の老舗「松本楼」へ。

20231201 山田学像 18cm _DSC1943

職場の名物部長であったY氏。
私は直接の部下ではなかったが、いろいろ声をかけてくれた恩人の一人。
この肖像画がお気に入りで、「そういうときはコレを使え」という遺言だそう。

20231201 偲ぶ会 21cm_DSC1929

かつてのお仲間はみなさん70歳を超え、80歳を超え…

20231201 偲ぶ会 今林さん 18cm_DSC1931

私の直属の上司であったIさんは、なんと90歳超え。
仕事のやり方をやさしく叩きこんでくれた文字通りの大恩人。まだまだ元気です。

20231201 加藤慈海さんと 21cm _DSC1934

今回嬉しかったのは、名古屋在住のKさんとのたぶん50年ぶりの再会!
お寺が生家で、あちこち道を外しがちな生意気な部下に、たびたび真摯な説教をいただいた。
なんとか職場で通用したのも、大先輩Kさんの心に響くアドバイスのおかげ。
この会には初めての出席だそうで、会えてほんとうに良かった!

20231201 松本楼名物カレー 21cm _DSC1938

松本楼の美味しい料理がたくさん並んでいたが、会場は恩人だらけでユックリ喰うヒマもない。
それでも食い意地貼ってるドラムスコ、名物のカレーだけはしっかりいただきました。
はい、さすがの美味でした。

20231201 偲ぶ会 日比谷公園 21cm_DSC1923

久しぶりの日比谷公園。 日本の「公園の父」といわれた本多静六の設計。
100年後を見越して造園、いまこんな見事な景観を創り上げた構想力に感心。

20231201 日比谷 21cm_DSC1917

もっともあたりの景色はどんどん変わって、ジジイにとっては「今浦島」状態。
50年前の想い出に浸っていても、すぐ現実にひきもどされました。




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Bflat鈴木燿さんのお別れ会

20221116 Bflat 鈴木追悼会 遺影 14㎝ DSC02473

11月16日は、9月1日に交通事故で亡くなったB♭経営者鈴木燿(あきら)さんの追悼コンサート。

20221116 Bflat 小林陽一トリオ 21㎝_DSC6539

ゆかりのミュージシャンが十数名出演、100人近くの前で心のこもった演奏を次々に。
まずは小林陽一・太田寛二トリオ。

20221116 Bflat 21cm FB _DSC6582

山田 穣、松島啓之、ジョナサンカッツクインテット。

20221116 Bflat 奥吉ナブコグループ 21㎝_DSC6623

たまたまNYCから帰国、全国ツアー中の霧生ナブ子と安カ川大樹、奥吉聡子グループ。

20221116 Bflat  21㎝_DSC6716

ほかにも大森明、山岡未樹、大江陽象など第一線のプロミュージシャンが追悼のステージを。

20221116 Bflat  Beatpapas menbers 21㎝ _DSC6729

鈴木夫人を囲んで、3年ぶりに集まった「BEATPAPAS」の懐かしい面々。
コロナ禍のもと、こんなことでもなければ、なかなか集まることも難しい昨今。
おもえば半世紀近いお付き合いの人たちも… また元気で集まろうね。


B♭オーナー鈴木曜さん急逝

20220904 Akira Suzuki 20cm DSC02486

代表的なジャズクラブのひとつ赤坂B♭のオーナー経営者 鈴木あきらさんが9月1日に亡くなった。
あす、9月5日が彼の喜寿の誕生日だったのに。 残念です。

てっきり、10数年前に患った喉頭癌の再発かと思いましたが、
奥さんのお話では、8月29日にお店を締めて帰宅するとき、
赤坂見附の駐車場に向かう途中で、タクシーにはねられたそうです。

彼は大学時代の後輩で、大学で組んでいたジャズバンドでTP、後にベースを担当していたから、
付き合いは実に半世紀以上、本当に永いおつきあい。

画家の息子であった彼は、「大学出てサラリーマン」という平凡な道を嫌って、
とつぜん大学を中退して映画製作の道へ、進藤兼人監督のもとに身を寄せ、
一時は助監督にまでなるのですが、挫折。
その後デザイン会社を興して、大学同期の杉谷宏幸さんのライブハウス事業を手伝うようになる。
杉谷宏幸さんは赤坂B♭の創業者ですが、持病の糖尿を悪化させ急逝、
彼の事業を引き継いだのが鈴木さん、というわけです。

杉谷さんが経営者の時代から、昔のよしみをいいことに、
私が関係していた社会人バンドのライブを、稼ぎ時のクリスマス前後の土曜夜に貸しきって、
大騒ぎしていましたが、杉谷さん亡きあとも、鈴木さんに引き継いでもらうことに。

年末の一番のかきいれどきを、素人バンドのライブで楽しませてもらっいました。
上の写真はその時のワンショットで、
大学時代のバンドの出番で無理やりステージに引っ張り上げて、1曲吹かせた時のもの。
もっとも、本人もマンザラでもなかったよう。

このコロナ騒ぎで、お店に2年近く行けなかったので、会う機会もなく、
突然の訃報にただただ驚くばかり。

鈴木さんのご冥福を、心からお祈りします。











ハーレムバンド廣田一先生とのお別れ

2020 Hirota 16cm 2683857838345743499_n

12日は、私が10数年所属していた社会人フルバンドの指導者廣田一さんの葬儀だった。

ロミ&ジョーカーズ 18㎝ -1545603788-5835

廣田一さんは、かつて「ロミ&ジョーカーズ」というグループのリーダーとして一世を風靡、
ロミさん中心に、全員で唄って演奏するという楽しいグループでした。
その後、ジャズベーシスト、作編曲者として日本作曲家協会ソングコンテストのグランプリ受賞、
アマチュアビッグバンドの指導、演歌グループの指導など多面的な活躍をされていました。

200103 ボッカチオTBL #18 21cm

私と廣田先生とは妙なご縁で、40年以上の長いお付き合いでした。

まず最初は、私が勤めていた会社の近くのライブハウスでの出会い。
「1933」というお店で、結成したばかりの「ロミ&ジョーカーズ」から
ロミさんのヴォーカルと先生のベース、イケメンピアニスト高浜和英さん
というピックアップ構成で出演していたとき、
私がカウンターでブラシを叩いて乱入!(お店の経営者とドラム合戦していたため)

その後、私が赤坂や銀座で、当時のトップアーティストにムリヤリ付き合ってもらって、
ライブをやっていたときに、ベーシストで出演してもらったことも。
この時は元オルケスタデラルスの寺内茂さん、元MR.CHILDRENの酒井聰行さん、
進藤陽吾さんなどそうそうたる面々が一緒に遊んでくれたっけ。
1995年ロミ&ジョーカーズ解散もあって次第に疎遠になってしまいましたが。

200512 Halem 005 14cm

話は変わって、私が初心に帰ってドラムレッスンを受けていた宮路楽器で、
担当者から、「フルバンドのドラムがいないので手伝ってくれないか?」とのお話、
バンドの練習日に様子をみにいくと、2つのビッグサプライズ!

 ① なんと、メンバーのほとんどが若い女性!
 ② 指導者が、なんとなんと廣田一先生ではないですか!

もちろん参加即決!ビッグバンドのメンバーに。
それ以来、「このヘタクソドラム!」と廣田さんに叱られながら
10数年間フルバンドの一員として過ごしました。 

当初は、8割以上のメンバーが若い女性、ということで、
女性メンバーのKさんから「ハーレムバンド」という名前にすれば?とナイス提案。
先生のハジメと組み合わせ「the Harjime Harlem Band」が正式名称に。
はい、愉しかったです。

200912広田先生 12cm

粘土人形造りを始めると、先生の人形を造ってゴマをすって、
少しでも先生の厳しい追求から逃れようとしたり…
厳しい注文を右から左に聴き流したり…先生にとっては困ったメンバーでした。
そして、私が70歳になったのを機に、ハレムバンドを引退したのでした。
下の写真は、2014年7月、私のハレムバンドでのラストライブの記念写真。

201407 21cm FB DSC02227

それからはや8年、今回の廣田先生の訃報に接することに。
肝硬変による失血が直接の原因だったようです。享年69歳。

かつては、先生のコネを使ってビクターの第2スタジオを
ロックアウトしてプロ機材を使ってレコーディングしたり、
先生の自宅でホームパーティをやったり、
メンバー一同で花見をしたりして楽しみました。
実は大量の写真があったのですが、昔の画像データを整理したHDを2度にわたって破損、
懐かしい写真がほとんど飛んでしまいました。
それでもなんとか数枚の写真を見つけ、先生との想い出をつづってみました。

広田先生のお骨を、まさか9歳上の私が拾うとは思ってもみませんでした‥

大変お世話になりました。ありがとうございました。
どうかあちらで、安らかにお過ごしください。




喜寿を前に喉頭癌の全快診断

おかげさまで
本日、喜寿を迎えました

おもえば、77年間好き放題にしてきて、よくぞここまで。
もっとも 「無事に」 とはいかないようで…

20210606 癌研 14㎝  DSC_6549

4月に喉頭癌が見つかり、
精密検査過程で、ごく初期の肺がんも偶然に見つかり…
何とも賑やかなことになりまして。

まず5月末に肺がんの手術
10日ほど入院して、わずか6mmの癌を無事に切除。
つづいて6月末から8月初めまで、週5回の喉頭がん放射線治療。
治療そのものは7月末に終わったのですが、
喉の皮膚の炎症や声帯の傷が収まるのに約3週間要しました。

おかげさまで 昨日、主治医から喉頭癌完治の診断
まだ放射線治療の後遺症で、声のカスレが残るものの
ごく初期だったこともあり、無事に退治できました。
31日に、肺がんの術後経過診察がありますが、これも問題なさそう。

このように、5月連休前から8月末まで、がん治療に明け暮れてましたが、
どのみち、コロナ禍で海外旅行も外食もままならない期間。
自宅ごもりの毎日も、オリンピックがあったので、
大したストレスも感じないで過ぎちゃいました。

20210720 Jazz38 DR 14cm monocro _DSC3678

合間に、のどに包帯しながらドラム叩きのリハビリを数回するも、
コロナが再拡大して、やむなく再び中断。
ところがところがです、
7月18日に、新しい娘「HANA」がやってきて、
オリンピックとチビのお世話で癌治療は、あっという間に終わった感じです。

20210804 ハナ 14cm _DSC4043

9月になったら、いよいよ、

◎ドラム叩きのリハビリ、
◎チビHana との毎日の散歩、
◎そして旨い物の食い歩き
 

もろもろを、コロナと折り合いつけながら再開予定。
そうそう、
☆6人目の孫も近々誕生予定

喜寿老人の「喜びライフ」のスタート。
みなさま、ご迷惑でしょうがも、よろしくお付き合いのほどを。








明日から入院、手術

20210510 癌研 21㎝ DSC_6549

予定が2日繰り上がって明日から入院、翌26日に手術。
1週間ほど娑婆には出られません。

「好事魔多し」といいますが…

コロナ禍でいろいろ不自由を強いられる毎日ですが、
わたしは根がズサンなのでしょう、あまりストレスを感じることもなく、
しかも今年は、人生のお祝い事がいくつも重なって、

 ・4月下旬われわれ夫婦のなんと「金婚式」
 ・5月中旬新しいワンコ「はな」を迎える予定
 ・8月27日まさかの「喜寿」
 ・8月末「6人目の孫」が誕生予定

と、嬉し楽しいことばかり続くはずでしたが……

20210501 好事魔多し 17㎝

「好事魔多し」
とはよく言ったもので、

3月24日に、愛犬モモが脳腫瘍であっけなく亡くなり、
4月に入るなり、さらに大きなトラブル発生。

モモのテンカン発作あたりから、私の声がシワがれたままになり、
「風邪にしてはおかしいなあ」と近くの耳鼻咽喉科で診てもらったら…
内視鏡でノドをチェックして「あら、声帯にデキモノが!」
すぐ癌研に紹介状、で、精密検査を受けたら…

確定診断は「喉頭がん」
さらにCTやMRIの画像から、偶然にも「肺がん」も発見。

しかし、しかし!
悪運の強いドラムスコ。
たまたま最初に訪れた耳鼻科は、首都圏有数の専門病院、
紹介状の宛先は、日本有数の権威 癌研の松浦先生。

5種類の精密検査過程で、喉頭がんだけじゃなく、
通常なら見落とされる極小の肺がんまでチェック。
いずれのガンも、ステージⅠ、「ちゃんと直します!」。

初診のときに、声帯だけじゃなくほかにも怪しい個所があると。
食道にもできている可能性が疑われ、
「ああ、声が出なくなるのはともかく、美味い物が食えなくなるのかなあ」…

検査の結果、喉頭がんはステージⅠ、声もOK、食事もOK.
同じくステージⅠの肺がんは何の自覚症状もなかったのですから。
実にラッキーなことです。

5月末にまず肺がんの手術、
6月下旬から喉頭がんの放射線治療開始ときまりました。

ということで、
新しいワンコ「ハナちゃん」も、
家に迎える日を延期、退院する6月初め
ということに。

いまのがん治療技術は、進歩し続けていて、
喜寿を迎える8月には、すべての治療を終えて、
娑婆に無事復帰できそうです。