
人生を幸せにおくる実践哲学の師、中村天風先生の珠玉のことば第2弾。
「蒔いたとおりに、花が咲く」人生の花を、望みどおりに盛大に咲かせる。
たった一度きりのわが人生、きれいな花を咲かせたいものです。
あぜ道のタンポポ、豪華なバラ、可憐に咲いて散る桜、あるいは四季折々の花々…
それぞれがこころに思い浮かぶ花を、望みどおりにきれいに咲かせる、
だれでもそう願いながら、花が咲くどころか雑草が生い茂ったままというのでは…
「人生は、自分のこころが描いたとおりになる」とすれば、人生の「華」をきれいに、望みどおりに咲かせるには、
そのようになるように、
まずは
「幸せの種」を蒔かなければなりません。
天風先生は、こうもいっています。
「こころに犬小屋みたいな設計を描いて広壮な邸宅などできるはずがない」
そこで先ずは、自分のこころの中にいつの間にか棲み着いてしまっている、
毒素=美しくないもの、楽しくないもの、悲しいものを追い出すことです。
この頃、若い女性までが「デトックス」に関心があるそうです。
時間とカネを惜しまずに、体内にある毒素を排出してよりよき健康と美を求める。
それはそれで結構ですが、しかし、それは体の細胞レベルのこと。
こころの中の毒素には、依然としてあまりにも無関心のようにも思います。
関心がないからデトックスするどころか、
毎日まいにち、こころに毒素を摂取し続けて気づかない。
たとえばマスコミは、毒素散布が大好きです。
殺人事件、汚職などの社会不正義からスキャンダルまで
朝から深夜まで、我々の暗部をひたすら発掘し、熱心に報道しつづけます。
毎日の職場の噂話、ご近所の立ち話のほとんども、他人の中傷ややっかみ…
そして、知らず知らず、自分のこころの中にさらなる毒素を溜め込んでしまう。
これでは、どんな花も美しく咲きようがありません。
もし咲いたとしても、こんなはずではと忌み嫌う毒草の花。
そうならないために、
天風先生は、
「今日一日、怒らず、怖れず、悲しまず」としました。
実際、実行しようとすると、短気な私はすぐカッなって反省しきりでしたが…
すると、先生はちゃんと助け舟も用意してくれていて、
「だめだなあ、おれは言われたとおりにできないとショゲかえる必要はないよ」
「それがこころの毒だと分かっているだけでも、分かってネエ奴よりずっとましだ」
「きのうまでなら、腹が立つから怒って何が悪いと思ったが、
いまのオレは、それはいけないと思っただけましだ。次は気をつけようと、考えるんだよ」
天風先生はどこまでも肯定的で、しかも実践的です。
また次のことを絶対に口にしない、聞かないとしました。
「困った」「弱った」「情けない」「悲しい」「腹が立つ」「助けてくれ」…
これらの消極的なことばは、こころの毒素となるからです。
だから、「グチを言うのが好きな人、すぐに悲しがるヤツとは付き合うな」とか、
「悲恋小説など読むな」と極端なことも言っています。
こころの毒素をデトックスして、新たな毒素をこころに入れない。
そうすれば、だれの人生にも、
きれいでリッパな、また愛らしい花が咲くことになるというのです。
一度きりの自分の人生、そのほうが楽しいなあ。
私は、単純なので「何とかあやかりたい」思いで、その実践をこころがけて30数年。
教えとはほど遠くても、おかげさまでドラムスコな日常をおくっています。
「オイオイ、積極思考と能天気はちがうんだぜ!」
という天風先生の叱責が、ときどき聴こえていますがネ。